頼山陽関連エントリー

周の漢詩入門「頼山陽『冑山歌』」

... いつも私も頼山陽の母を思い出している気持を思ったものでした。 今もまたその人のこの詩を吟う声が私に聞こえてきています。 冑山歌 頼山陽 冑山昨送我 冑山(註1) 昨我を送り、 冑山今迎吾 冑山 今吾を ...

周の漢詩入門「頼山陽『冑山歌』」

鞭声粛々の作者・頼山陽

天保三年(1832年)9月23日は、歴史家で詩人でもある 頼山陽 の亡くなった日であります。 先日、 川中島の合戦 の日に少し書きました ... 十年 一剣を磨き 流星光底 長蛇を逸す♪ この詩の作者が頼山陽です。 彼は、広島藩の儒学者の子供として ...

鞭声粛々の作者・頼山陽

見延典子『頼山陽』 (上下)を読む

... 頼山陽の著作は、漢文で書かれているために、現代の我々には大変馴染み難く、私も実際の作品はほとんど読んだことが無い。しかし、20年以上前に刊行された中村真一郎の『頼山陽とその時代』で、このある意味では同時代人にとっても型破りであったろう ...

見延典子『頼山陽』 (上下)を読む

頼山陽が見た川中島!!

... 頼山陽作の『川中島』の一説です。 あまりにも有名ですよね 信玄・謙信の一騎打ちの絵に、江戸時代後期の 儒学者であり詩人でもある頼山陽が詩を付けた と言われているのです この詩の意味は大体こう云う感じです。 ...

頼山陽が見た川中島!!

森繁夫「頼山陽の歌」

『人物百談』 所収 頼山陽の歌 morisigeo58.pdf

森繁夫「頼山陽の歌」

頼山陽とは?

頼 山陽(らい さんよう、男性、安永9年12月27日 (旧暦) 12月27日(1780年1月21日) - 天保3年9月23日 (旧暦) 9月23日(1832年10月16日))は、江戸時代後期の歴史家・陽明学者、漢詩人、文人である。幼名は久太郎、名は襄、字は子成。安政の大獄で処刑された頼三樹三郎は息子。
大坂江戸堀北(現・大阪市西区 (大阪市) 西区江戸堀〉に私塾「青山社」を開いていた頼春水の子として生まれる。1781年父・春水が広島藩の儒学者として登用されることになり広島に転居、袋町(現・広島市中区 (広島市) 中区袋町)で育つ。幼時より詩文の才があり、また歴史を愛好した。叔父の頼杏坪に学び、江戸では尾藤二洲に学ぶ。21歳のころ脱藩を企て、自宅へ幽閉、廃嫡される。3年間は著述に専念した。

頼山陽の詳細

頼山陽に関するニュース


「山紫水明」は鞆生まれ 広島の池田さん、著書で発表
山陽新聞
ノンフィクション作家池田明子さん(64)=広島市西区=が、山紫水明は江戸時代の漢詩人頼山陽(らいさんよう)(1780~1832年)が鞆の浦の景色を見て造語したとする説を著書「山紫水明―頼山陽の詩郷―」で繰り広げ注目を集めている。 山陽は広島藩の出身で、 ...


播州日記:人材求めて /兵庫
毎日新聞
JR東海道・山陽線や加古川線では中づり広告も。昨年入庁の職員が訴えた「あなたの元気、待っています」。 結果、応募倍率は23・9倍と微増。ポスターを見て応募した人は1割ほどいたという。かつて職員互助会などでの厚遇問題が指弾を浴びた公務員。 ...

頼山陽に関する質問

頼山陽 頼山陽の漢詩で, 男子学バザレバ、スナワチ已ム。 学..

頼山陽の漢詩で, 男子学バザレバ、スナワチ已ム。 学ババ当ニ羣ヲ超ユベシ で始まるものについて探しています. ・「タイトル,解説等が含まれているページ,もしくは文献」 を教えてください. ちなみに最初の二文だけ原文もわかっています. 男子不学則已 学則当超羣矣 渡部昇一「知的生活の方法」で紹介されており気になって調べたのですが, 検索してもなかなか見つからないので質問しました. 書き下し文についてはわかっているので,タイトル・原文・解説がついている ものがあると助かります. ご存知であればこの詩が書かれた背景等教えていただけると大変嬉しいです. よろしくお願いします.

芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画  頼山陽の漢詩で, 男子学バザレバ、スナワチ已ム。 学..の詳細